幸福論

柔肌に管を差し込み、ごくごくと、美味しい体液を飲み込んでいる、その夢のような幸せ、その時、ピシャ、そのまま天国行き、この蚊の幸福度は一級である。
飼い主に首の横を掻いてもらっている犬も幸福である。
定年退職したサラリ-マンが平日の朝、寝たいだけ寝ていられるという、信じられないような幸せを満喫している、でもやりすぎれば、ボケが進み筋力が低下して、動かなくなる。幸福を手に入れるには、ほどほどが肝心である。

公務員給与

不景気の為、一般の給与所得は下がり続け、公務委員給与との格差は広がっている。これはけしからん、国民が苦しんでいるときに公務員のみが優雅な生活を楽しんで良いのか?公務員給与も10%は下げるべきである、という論が力を得ている。これは一見、もっともらしい。しかしこれは本末転倒の愚論である。公務員給与は、ひとり踏ん張ってデフレに対抗している、ヒーローなのである。これを下げれば、デフレに対する唯一の歯止めが外れ、際限もないデフレえと転落していくであろう。本筋は、デフレを解消して景気を良くし、一般の給与がどんどん上がって、公務員給与を上廻るようにすることである。
方法は簡単である。赤字国債を新発行して60兆円ほど、日銀に引き受けさせるだけである。これによって、金利が上がることはない。市中から資金を吸い上げながらである。政府の金利負担も増えない。日銀には金利を払う必要がないからである。(払っても国庫納付金の形で返ってくる。)子孫につけを残すこともない。この国債は償還不要だからである。これはマネーを水増しすることだから、当然物価は上がる。おそらく2%程度のインフレになるだろう。これは理想の状態であって、これにより経済は活性化し、失業率は下がり、パートや非正社員の給料も上がる。
一方政府は、たなぼたで莫大な財源を手に入れ、緊急に必要な施策をどんどん進められるだろう。
こんなことすれば超インフレが起こり大変なことになる、という愚者の大合唱が起こるだろう、マスコミやバカな評論家どもも尻馬に乗る。これは戦中戦後の超インフレを念頭においてのことだろうが、全く紀憂である。当時の問題は物が決定的に不足したことにあってインフレは結果にすぎない。今、この物余りの時代に超インフレなど起こりようがないのである。
すべてが良くなる簡単な方法があるのに、みんなで寄ってたかって潰そうとする。これは悪魔の仕業である。日本は無知という悪魔に魅入られて滅亡の道を進んでいるのである。

児童数百人犬死

東日本大震災の津波で、石巻市立大川小学校の生徒の約7割が死亡又は行方不明となった。地震から、津波がくるまで約50分の余裕があったのに、どうしてこんなことになったのか。学校の裏山に逃げれば10分もかからず、安全地帯に行けたのに。何処に避難させるか、先生方が集まって小田原評定をしている間に津波が来てしまったらしい。全く馬鹿馬鹿しくて開いた口がふさがらない。

人生の壁

人生には、60歳と80歳の二つの壁があるといわれる。60歳の壁はどうやら乗り越えたが、80歳を目前にして、大きな壁にぶつかった。両膝の筋肉が弱って、歩くときふらつく、体全体が思うように動かない、卓球を10分もやれば両足が棒になる何でもすぐに忘れる。帰り道がわからなくなって家に帰れなくなるのではないかと心配になる。食べる量が1/3になった。無理に食べると、胃が苦しくなる。ここを乗り越えるとゴールは目前である。

福島原発の続き

東電は親方日の丸の会社だから、その社員は役人と同様である。今回の津波は想定外の大きさだったので仕方がなかった、などと言い訳しているが、実はもっと大きな津波が何回も来ている。役人の発想では、想定内の津波とは適度なコストで対処出来る津波のことらしい。能吏は、想定内のことにはうまく対処する能力は持っているが、都合の悪い想定はしないという特技を持っている。
こうして適度なコストで原発を作り、監督する方もそれで満足し、四方八方めでたしとなる。それで原発の暴走という大災害を引き起こしても、想定外だったから仕方がなかったということになる。こういう役人は評価され、順調に出世するだろう。
なまじ良心的でがっちりしたものを作れば、こんなにコストをかけたのでは話にならないと言われ、左遷されることになる。
要するに、こういう役人共に任せていたのでは大変なことになるということである。

世帯当り給付の怪

今回の災害の被災者援助として、世帯当たり100万円、単身世帯は75万円の給付を行うという。これは信じられないくらい馬鹿げた配分法である。例えば、祖父、祖母、若夫婦、子供3人、計7人の世帯も夫婦2人の世帯も同額の給付をするとは!勿論一人当たり同額20万円程度とするべきである。
江戸時代から、お上は庶民を世帯単位で管理してきた。その昔ながらの感覚で、今の役人は仕事をしているのである。世帯をかまえるにはそれなりのコストがかかるのは否定できないが、気の合う者同士で共同生活をするなど、簡単な解決法はある。爺さん、婆さん、子供は人間扱いしていないのでこんなことになるのである。子供の多い世帯ほど割を食うやり方は少子化を奨励し、核家族化を奨励し、世帯数を増やす結果をもたらし非効率化を進める。家族の多い世帯ほど、生活が苦しいのが、解らないのだろうか。
電力料金はひどい累進制になっているが、一人一室が当たり前になった今、大家族には莫大な負担を強いている。

デフレ解消と子供手当

1%のデフレがあるとき、合計1000兆円の金融資産を持っている金持ち連中には、年10兆円の不労利得が転がり込む。これはパートの時間給を押し下げるような形で貧乏人から搾り取られる。デフレの解消は簡単である。赤字国債を日銀に引き受けさせる、という形でマネーを水増しすれば良い。
1%のデフレは20兆円の需要不足がもたらしているとすれば、20兆円の水増しをすれば良いし、更に40兆円水増しすれば、2%のインフレになる。これは適度なインフレであって、これによって経済は活性化し、景気がよくなる。失業者もいなくなる。政府は60兆円の財源を棚ぼた式で手に入れ、子供手当の増額、震災復興等に使うことができる。
子供手当のような人気とりのバラマキはやめるべきだと言う人は品性低劣である。次世代の育成は社会全体の責任であるのに、そのコストを子を持つ親にだけに押しつけ、その成果だけを得ようとするものだからである。

福島原発

前回、子供が本物のピストルを玩具にしていると書いたが、それどころか赤児にピストルを与えるようなものだ、下請けの作業員が、汚染水の貯まっているところに短靴で入り靴に水が入ってひどく被爆したと聞く。こんな危険な作業は、社長がと、までいわず訓練された社員が完全な防護服を着て行うことは、あまりにも常識である。別の社員二人が原発建屋内で死んでいるのが発見された。これは津波にやられて溺れたらしい。福島原発は大量の海水を使うため、海岸にあり、しかもこの辺は、たびたび津波にやられた歴史がある。充分な津波対策をしておくのが当然である。フランスではジェット機が衝突しても耐えられるように厚さ7mのコンクリートで囲っていると聞く。筆者が以前勤めていた会社は、水溶性フイルムを、フランスに納入した。放射能に汚染された作業衣を、この袋につめて安全に処理するためのものである。東電から注文はなかった。スカスカの建屋だから津波が浸入して、電気関係がすべてやられ、冷却ポンプが止まってしまった。これが止まると、炉心が溶け大爆発を起こす。あわてて消防車で海水を注入したが不充分で、水素爆発を起こし、建屋や配管が破壊された。
水素濃度は測定すればすぐわかるから、危険は事前に察知し、窒素を入れるなどをすべきだった。汚染水は活性炭をつめた濾過機で濾過してから海に流すべきだった。活性炭が有効がどうか実験していないから解らないと言っているが、実験すれば、一時間もかからずにわかるし、有効なことは常識にすぎない。このように、好き放題に放射能をまき散らしている。放射能が強くて中に入れないのでどうしようもないなどと言っているが、鉛の微粉末を練り込んだポリウレタンのカッパ、手袋長靴、等の防護服が用意してあれば、かなり強い放射能にも耐えられるはずである。危険な原発を作る以上、これらは事前に充分に準備しておくべきである。
東電もひどいがそれを監督する役人共も同様に無能、無知でやる気がない。
こんな連中には任せておけないから、厳しい競争にさらされている民間企業にすべてを任せるべきである。

放射能汚染

ラジューム温泉に入る人がいる。どんな毒物でも適量であれば、プラスになることが多い。したがって放射能汚染は、騒ぎすぎ、だと思う。将来ガンになる確率を少し増やす程度の量であれば、活性酸素など他の発ガン物質と同程度の扱いでよい。
活性酸素は茶に含まれるタンニンなどによって分解される、ガンは細胞のDNAに傷がつくことによって発生するがDNAには、自己修復の機能が備わっており、まずガンになることはない、ある種のウイルスは、この自己修復機能をダメにすることによって、ガン細胞をつくる。しかし、この場合も免疫力が働けば、ガン細胞は破壊される。要するにガンになるのは、免疫力の低下が原因であり、バランスのとれた食事、を取り暴飲暴食、働き過ぎの過労をやめ、できるだけ感染症にかからないようにして体力の低下を防ぐ等によってガンは防ぐことができる。

生と死

齢80に達し、死期が近づいたのを感じるせいか近頃は、生と死について考えることが多くなった。宇宙が生まれる前には宇宙は存在しなかった。「無の世界」だけがあった。この「無の世界」から、ボコっと宇宙が生まれ出たのである。「無の世界」は神の世界とも言え、何でも生み出すことができる優れものである。
自意識を持った自分が生まれる前も「無の世界」であった。この「無の世界」から、ボコっと自分が生まれ出たのである。やがて死を迎えると、再び「無の世界」に戻るこれでは無意味のようであるが、そうではない。生きている間に多くのことを知ることが出来たからである。これを、生まれてきただけで丸儲け、と観じ、感謝の心を持てば、安らかな心で死を迎えることが出来るのである。

税制、政治政策の評論など。